健康保険の被保険者資格の喪失手続きと不法行為の成立について

弁護士の森でございます。
 今回は、健康保険の被保険者資格の喪失手続きと不法行為の成立について判示した東京地裁平成23年3月28日付の裁判例をご紹介します。

 同事例では原告が,原告の従業員である被告に対し,被告が支払うべき社会保険料の被保険者負担分を原告が納付したとして,不当利得返還請求権に基づき,納付した被保険者負担分相当額の金員の請求をしました。これに対して被告は、まだ原告と被告は雇用関係があったにも関わらず、健康保険の被保険者資格喪失の届出をしたことにより、被告は精神的苦痛を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償請求権との相殺を主張しました。

 そして本件において裁判所は,「事業主が届出をした行為が違法となるのは,事業主が法令の解釈と判断が成り立たないものであることを認識しながら,あえてそのような解釈と判断に立って届出をした場合やこれに準ずるような事情が認められる場合に限られると解する」と規範を定立しました。
 そして、裁判所は、原告が、被告が約4か月間職場に出勤していなかったことを理由に健康保険の保険者資格を喪失させたという事情に着目し、被保険者資格の喪失に関する解釈については,昭和25年4月14日付け厚生省保険局長の回答(昭和25年4月14日保発第20号)には,本件社会保険の被保険者が休業した場合において,雇用契約が存続しているが,事実上の使用関係がなく,かつ,休業手当も支給されないときには,被保険者資格を喪失させるとの取扱いをする旨の記載があること,また,昭和6年2月4日付けの社会局保険部長から健康保険組合理事長等宛の通牒(昭和6年2月4日保発第59号)には,被保険者が休職した場合において,休職中に給料を全く支給されず,実質は使用関係の消滅と見るのが相当であるときは,被保険者資格を喪失させるのが相当であるとの記載があること,そして、これらが行政実例として紹介されていることを認定しました。
 その上で、本件のもとでは、原告が,被告の被保険者資格が失われるとの解釈が成り立たないことを認識しながらあえてそのような解釈に立って被保険者資格喪失届をしたとまでは認められず,これに準ずるような事情も認められないとして、原告が被告の健康保険の被保険者資格喪失の届出をした行為はについて,不法行為は成立しないと認定しました。

 事業主には、労働者の健康保険の被保険者資格喪失の事実があった場合には、当該事実があった日から5日以内に被保険者資格喪失届を日本年金機構又は健康保険組合に提出する義務が課されているため(健康保険法第48条、同施行規則29条1項)、被保険者資格を喪失しているかどうかに法解釈が必要な場合には、難しい判断を迫られることになります。
 同判例は、不法行為の成立に関しては、そのような使用者の立場に考慮して、比較的広い裁量を与えたものということができると考えられます。
 もっとも、同判例は、規範の定立にあたって、原告が事業主として被保険者資格の喪失の届出をするに当たって,一定の法令の解釈と判断が必要となった事実を前提としています。そのため、同判例の射程は、健康保険の被保険者資格の喪失にあたって一定の法令の解釈と判断が必要とされる場合に限定される可能性があることに留意が必要となります。

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